翡翠

Hisui

翡翠(ひすい)は、人の手が入らなくなって久しい森を描きつづけるアーティストです。苔をまとった巨木、垂れ下がる蔽、膝丈ほどもあるシダの茂み、そして風のない水辺。どの一枚も同じ森を、違う時間と天候のなかで見ているような連なりを持っています。

絵の具は厚く置かれ、筆を引いた跡がそのまま画面に残されます。葉の一枚一枚を追わず、光の当たった面を大きなタッチで置いていくことで、近づけば絵の具の層、離れれば深い森に見える奉行きが生まれます。霧の層を何度も重ねて奇を遠ざける一方で、手前の下草だけは鍑い筆で起こされ、見る者の立ち位置が自然と決まります。

色は深緑から青灰、そして白へと移ろう狭い幅に押さえられています。その静かな色域のなかで、赤く燃える月、青く光る菌、樹間から落ちる白い光の筋だけが、見る者の目を引き寄せます。色数を増やさないことで、わずかな光がひとつの事件のように際立ちます。

森にはしばしば、何かの気配が置かれています。水面を渡る白い鹿、苔に飲まれた巨大な獣の頭骨、樹々の向こうに沈む尖塔や石像。それが何で、なぜそこにあるのかは語られません。翡翠の作品は物語の結末を見せる代わりに、その場に居合わせた者だけが受け取る静けさを差し出します。

コレクション: 翡翠